アメリカ留学中に始めました。博士課程も終わりに近づき、そろそろアメリカでなければできないことを、一つぐらい覚えて帰国したいと思ったのがきっかけです。当時日本でもブームになっていたらしくて、「アメリカならでは」というまったくの勘違いから始めたと言っていいのですが、おそらく日本にいたら敷居が高すぎて始めてないと思うので、アメリカで覚えたのは正解でした。日本人はスタイルを気にしてお金をかけるから・・・。アメリカでは堤防でサビキをやる程度の感覚でフライフィッシングが始められる、というかそれほどに市民権を得ているので、妙に気負わなくても入門できるわけです。ビデオ教材も豊富だし。
しかし、ビデオだけで投げるのがうまくなると考えたのは浅はかでした。結局はアウトドア関連のイベントに出かけていった際に、ビデオに出演していた先生をつかまえて教えてもらうまで、ひも(フライラインと呼びます)をまっすぐに投げることができませんでした。その先生というのが、フライキャスティングトーナメント(フライ投げの大会)の世界チャンピオンを育てた、超一流のインストラクターだったのが、私にとってはラッキーでした。手をとって一緒にキャスティングをしてくれたことで、すぐに力の入れ方が分かるようになり、5メートルぐらいのラインなら楽々とまっすぐに伸びて水面に落ちるようになったのです。1992年1月のことです。(この先生からは翌年の同じイベントの場で、ダブルホールという技術を教わりました。)
ラインが投げられるようになっても、毛鉤を巻けないことには釣りになりません。貧乏学生だった私が、そもそもお金のかかる、こんな遊びを覚えたのは、コロラドアウトドアーズという雑誌に掲載された「ケチで貧乏な人のためのフライフィッシング」という記事が、とっても面白かったせいです。貧乏人でも一通りの道具が何とか揃うならやってみようかな、という気にさせられたのはその著者の筆力によるところが大きいわけです。その中に「フライは自分で巻こう、買えば2ドルでも作れば5セントだ(数字はうろ覚えですが、だいたいこんな感じ)」というようなくだりがあって、妙に納得してしまった私は竿よりも先に、スポーツ用品店でセールになっていた毛鉤巻きセットを購入したのでした。だからラインが投げられるようになった今、巻きためたフライはたくさんあって、あとは実戦経験を積むのみ、という状態だったのです。
実際に魚が釣れたのは半年後。当時の彼女(今の妻)が、私より数週間前に最初の1匹目を釣り上げているのが、今でも彼女の自慢ですが、使ったのは私が巻いた毛鉤です。自分で巻いた毛鉤を魚が食うのを見るまでは、本当にこんなんでいいのかな、と疑心暗鬼になるものです。でも一旦釣れると分かってしまえば、あとは技術の問題ですから、練習あるのみです。この日彼女はもう1匹、計2匹のかわいいブラウントラウトを釣り上げたのでした。私の記念すべき1匹目は、小雨の中、湖の流れ込みで静かに水面での捕食を繰り返す、美しいエメラルドレイク・レインボー*でした。赤い帯がきれいなニジマスのなかまです。
*エメラルドレイク・レインボートラウトというのは、確かジョン・ギーラックによればニジマスとカットスロートとの交雑種で、両者の長所を併せ持った系統らしいです。