●イコノグラフィー(図像学):美術史の補助学 19世紀から発展
時代を隔て、文化が異なった場合、美術作品に描かれている形象の主題やモティーフの意味の解釈が困難になる
→形象と意味を歴史的に系統づけ、分類、記述する専門的研究の必要性
●イコノロジー(図像解釈学):「深い意味におけるイコノグラフィー」 1920-30年代以降発展
「個々の形象の寓意的象徴的意味」、「他の形象との相互作用」、「時代や国家の神学的、哲学的、政治的等の概念との関連」までをも解釈=深い解釈
・創始者ヴァールブルク(Aby Warburg, 1866-1929):私設の研究所
ザクスル(Fritz Saxl, 1890-1948)
パノフスキー(Erwin Panofsky, 1892-1968)
ヴィント(Edgar Wind, 1900- )
・「イコノロジー」:最初の使用=1912年、ヴァールブルクによる
:方法論の確立=1930年代
・パノフスキーの論文、著作
「[絵画]芸術[作]品*の記述と内容解釈の問題」(Zum Problem der Beschreiburg und Inhaltdeutung von Werken der Kunst, 1932) *[ ]内、追補
『イコノロジー研究』(邦訳:浅野徹ほか訳 美術出版社 1971年)
『視覚芸術における意味』(邦訳:『視覚芸術の意味』 中森義宗訳 岩崎美術社 1971年)
・パノフスキーによる「主題・意味」の三層区分→序論テキスト p.19、一覧表
解 釈 の 対 象 |
I 第一段階的 自然主義的主題 (A)事実的主題 (B)表現的主題 美術上のモティーフの世界を構成 |
II 第二段階的 伝習的主題 「イメージ・物語・寓意」の世界を構成 |
III 内的意味・内容 「『象徴的』価値」の世界を構成 |
解 釈 の 方 法 |
イコノグラフィー以前の記述 (擬似的な形の分析) |
イコノグラフィー上の分析 |
イコノロジーによる解釈 |
解 釈 の 準 備 |
実際的経験 「対象・出来事」への精通 |
文献資料による知識 「テーマ・概念」への精通 |
総合的「直観」 「人間精神の本質的傾向」への精通 個人の心理と「世界観」によって左右される |
解 釈 の 制 御 原 理 |
「様式」の歴史 「対象・出来事」が変化する歴史的状況下で「形」によって表現される方式に対する洞察 |
「類型」の歴史 歴史的状況下で「対象・出来事」によって表現される方式に対する洞察 |
「文化的徴候、<象徴>」の歴史 「人間精神の本質的傾向」が変化する歴史的状況下で特殊な「テーマ・概念」によって表現される方式に対する洞察 |
芸術作品の意味を知ること、それも単に主題の意味だけでなく、造形上、歴史上のコンテキストの中でその意味を知ること、これこそが「イコノロジー」と呼ばれる方法である。それは、純粋に「視覚形式」の意味を求めたヴェルフリン流の方法論と、純粋に「主題」の意味を求めたマール流の方法論の総合を目指したものと言ってもよい。
アーウィン・パノフスキーは、一九八二年ドイツに生まれ、ベルリン、ミュンヘン、フライブルグの大学で美術史を学んだ。一九二一年にハンブルグ大学の講師となり、一九二六年同大学の教授となった。このハンブルグ時代、イコノロジーの開祖ともいうべきヴァルブルグの研究所に学んだことが、彼の方法論の確立に大きな影響を与えた。(一九〇五年にハンブルグに設立されたヴァルブルグ研究所は、一九三三年ロンドンに移され、現在はロンドン大学付属研究所となっている。)
その後、彼はナチスの擡頭とともに、一九三四年アメリカに渡り、プリンストン大学、次いでニューヨーク大学を本拠として華々しい活躍を示すことになる。本書*は、彼のアメリカにおける(したがって英語で書かれた)業績の最初の重要なものである。
*本書=『イコノロジー研究』
『イコノロジー研究』が出版されたのは一九三九年である。(中略) 再版まで二十三年、現在まで三十年以上経過しているわけであるが、この期間は欧米、特にアメリカにおいてイコノグラフィー研究、あるいはパノフスキー流のイコノロジー研究が美術史研究の主要な部門として定着し展開をとげた時期に当たっている。今でこそわれわれにもイコノロジーという言葉は多少とも耳慣れたものとなっているが、初版が出版された当時においては"秘教的で粗野で、さらには何か疑わしい調子"を伴ってこの言葉を聞き慣れぬ人の耳に響いたものであったし(パノフスキー、フランス語版への序文)、また特に英語国民にとってはイコノグラフィーという言葉自体、植物学とか紋章学のように美術史にとっては付随的なものと受け取られがちで、したがって美術史そのものに適用できる独立した方法論とは考えにくいものであった。本書の序論が彼の論文集『視覚芸術の意味』(一九五七)に「イコノロジーとイコノグラフィー」と題して収録された際そこに新たに書き加えられた一節にも述べられているように、パノフスキーがイコノグラフィーに対置させてイコノロジーという言葉を援用したのは、そうした状況において純粋に記述的な方法とある種の解釈へ導く方法との相違を強調しなければと考えたからである。「以来四十年以上経過し、イコノグラフィーが解釈の学足りうるという考え方が米国においてさえ力を得てきた」とパノフスキーは言う。「それゆえ今日はじめてこの本を出版するのだったら、十年来言ってきたことだがイコノロジーが民族誌学(ルビ:エスノグラフィー)に対する民族学(ルビ:エスノロジー)としてではなく、天文学(ルビ:アストロノミー)に対する占星術(ルビ:アストロジー)のように考えられる危険があることを十分考慮して、臆せず根本テーマとして"イコノグラフィー"と命名し直しているだろう」(フランス語版への序文)と。つまりわれわれはこうした言葉のうちにパノフスキーの方法論の定着とその隆盛、そしてさらにはそうした過程に果たしたパノフスキー自身の自負を読み取ることができるように思われるのである。