日本の国際美術展(一)
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ
◆授業の目標
現代美術の表現手段の多様性を理解する。
展覧会の主催者、企画者、企画意図について考える習慣を身につける。
1. 里山と現代美術
1-1. JRまつだい駅
1-2. 草間彌生《花咲ける妻有》 2003年、(部分)
1-3. まつだい雪国農耕文化センター「農舞台」とイリヤ&エミリア・カバコフ《棚田》
1-4. イリヤ&エミリア・カバコフ《棚田》 2000年、(部分1)、(部分2)
1-5. マーリア・ヴィルッカラ(フィンランド)《ファウンド・ア・メンタル・コネクション3 全ての場所が世界の真ん中》 2003年、(別画像1)、(別画像2)、(別画像3)、(別画像4)、(別画像5)、(別画像6)、(別画像7)、(別画像8)、(別画像9)、(別画像10)、(別画像11)
2. 平成の大合併
2-1. 6市町村→1市1町(2005年)
2-2. 新潟県知事と6市町村の市長、町長たち
2-3. 新潟県知事あいさつ 『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』記録集より
新潟県では時代のパラダイムシフトを見据えた広域地域づくりプロジェクト「ニューにいがた里創プラン」を県内6地域で進めています。その一つ十日町地域の里創プラン「越後妻有アートネックレス整備事業」は、地域に内在する様々な価値をアートを媒介として掘り起こし、その魅力を高め世界に発信しつつ自立へ向けた道筋を築いていこうというものであり、その中核となる事業「大地の芸術祭」が昨年の夏に開催されました。
アートの力は、人々の想像力に働きかけ、営々と築いてきた日常に新しい光と未来を考えるヒントを与えてくれました。また、世界のアーチストと地域の人々との「協働」は、多くの感動の物語と自らの地域に対する誇りを与えて くれました。全国からの来訪者も優れた作品との出会いのみならず、山里のたたずまいの美しさや温かいもてなしの心にも触れていただいたことと思います。
この事業は、前例のない地域づくりへの挑戦であったことから多くの課題や困難に直面しましたが、総合ディレクター始め関係者の大変な努力により達成することができました。また、「こへび隊」という若者を中心としたボランティア組織の活躍は目ざましく、世代や立場を越えた様々な協働や交流の原動力となり、地域づくりに多くの示唆を与えてくれました。
次世代の地域づくりを目指し時間をかけて取り組んできた「里創プラン」、その一つが20世紀最後の年に「大地の 芸術祭」として開花しました。新世紀を迎え、「心の豊かさ」が大切とされる中で、新たな時代へ大きな足跡を残したことと思います。今後の更なる飛躍を期待しております。
2-4. 十日町市長あいさつ 『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000』記録集より
新潟県の南部に位置する越後妻有6市町村(十日町、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町)は、広域で連携しあって世界最大規模の野外芸術の祭典『大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ2000」を挙行いたしました。
大地の芸術祭は、主目的としてアートの力を活かした交流人口の増大、越後妻有の全国発信、地域活性化を掲げましたが、16万人を超える来訪客をお迎えし、朝日新聞の社説をはじめ連日全国規模のマスコミで報道されるなど、かつてないほど地域の情報発信が図られました。特筆すべきは、首都圏を中心に結成されたサポート組織「こへび隊」800人の若い皆さんに、大きな志を抱きながら溌剌として 当地域に関わっていただき、未来に繋がる交流の輪が芽生えたことです。
日本初の試みであり、運営面など多々不手際もありましたが、この経験を踏まえて第2回・2003年はより充実した芸術祭によって多くの皆様をお迎えしたいと思います。
事業を支えていただいた多くの方々に感謝申し上げ、記録集発刊のご挨拶とさせていただきます。
3. 地域の再生/都市との交流
3-1. クリス・マシューズ(イギリス)《中里かかしの庭》 2000年、(別画像)
3-2. 井手創太郎+高浜利也《小出の家》 2006年、(内部)
3-3. クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン(フランス)《最後の教室》 2006年、(部分1)、(部分2)、(部分3)、(部分4)、(部分5)
3-4. 古巻和芳+夜間工房《繭の家―養蚕プロジェクト》 2006/09年、(部分1)、(部分2)、(部分3)、(部分4)、(部分5)、(部分6)
3-5. 深川資料館通り商店街協同組合+Qrr ART白濱万亀《かかしのこどもたち》2006/09年、(別画像)、(部分)
3-6. 総合ディレクター北川フラム
北川フラム(聞き手:米田綱路)「「効く」美術の可能性――固有の時間と場所のなかで公共性をひらくミッション」、『図書新聞』第2753号(2005年12月10日) より
越後妻有の場合も、公共事業のなかに入って、ハードをソフトに変えていこうとやってきたわけですが、自治体と折衝するだけではなくて、「公共事業の手先だ」と批判されたり、いろんなことがありました。でも、なんとか続けてやってきた。やっぱり、口で言っているだけでは何も始まらないし、自分にはね返ってくる。何かやってみなければ、可能性も見えないでしょう。
他所よりも棚田を作る労力が要る。先祖代々この田んぼを作ってきた重みも、他所よりある。それが、いまは崩壊しているわけでしょう。人口が減ってきているし、もうお祭りもできなくなっている。だから、「何とかお祭りぐらいはしたい」という気分になれないかと思った。それが、「大地の芸術祭」を考えて妻有に入った最初の出発点です。国と県のもともとの狙いは、市町村合併であり、合理化だったんです。僕はその流れに乗ってやり出したんだけど、どうしてこのプロジェクトが潰れずに生き残ったかというと、集落に徹底して関わったからだと思っています。
東京の人間にとって、田舎が大切になるんですよ。たとえばニュータウンに住んでいたら、勤めから帰って寝るだけでしょう。そこには何のリアリティもない。一生懸命働いているけれども、もう会社もこの先どうなるかわからないわけじゃない? そのときに人間は、やっぱり自分が本当に必要とされる場所に行くんですね。
固有の土地にはまだ固有の時間が流れている。だから、そこに関わっていくことが、美術の可能性なんじゃないかと思うんですね。
3-7. ジャン=リュック・ヴィルムート(フランス)《カフェ・ルフレ》 /まつだい食堂
3-8. まつだい食堂/里山セット
3-9. まつだい食堂からの眺め
4. まとめ
・ 現代美術の多様性
―インスタレーション
―参加型・体験型
―空家・廃校プロジェクト
―サイト・スペシフィック
―コミュニティ・スペシフィック
・ 主催者、企画者、企画意図
―国、県が推進する「平成の大合併」
―公共事業と文化事業
―三年大祭(トリエンナーレ)
―固有の文化、美術の可能性
◆過去の講義ノートへのリンク
二〇一〇年前期 <第八講> 日本の国際美術展(三)大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ
二〇〇九年後期 <第一講> 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ