記憶に残る文章    


青春の道標


 ぼくが動物学をやるようになったことに関しては今から思えばずいぶん大事なできごとがあった。小学校の三年生であったぼくは、体が弱くて体操ができないからというので、先生たちにいじめられていた。(いじめの具体的内容の記述。戦時中のことである。)
ぼくは次第に何か仮病をつかって学校を休むようになった。

(両親の無神経な対応の記述。) 両親を信用できなくなり、ぼくは、すっかり人問不信に陥って、もう死んでしまおうと思うようになった。そして、どうやって死のうかと考えながら毎日近くの原っぱへいき、虫たちのやっていることを見て時間を過ごすようになった。そのうちに、それぞれの虫が、食べものを探したり、えものを捕まえたりしようとして、それぞれ一生懸命生きていることがわかってきた。ぼくは子ども心に漠然と考えた。よし、ぼくはこんな息のつまりそうな学校なんかいかないで昆虫学者になろう。そうしたら生きていけるかもしれない。ぼくはこのことを父にうっかり洩らしてしまったらしい。父はいつものいやらしい口振りでこう言った。
「おれは昆虫学者だといったって御飯はここにでてこない。」

 そんなことでまた悶々(もんもん)としながら、ぼくは四年生になった。ある日の昼前、新担任の米丸先生がふらりと家へやってきた。そしてびっくりしている両親の前でいきなりぼくにこう言った。
「お前は自殺することをいいと思うか悪いと思うか?」
虚をつかれてぼくは、「悪いと思います」と答えてしまった。とたんに先生は声を荒げた。
「お前は自分で悪いと思っていることをなぜしようとするのだ!」
そして驚いている父親に言った。
「こういう次第ですから、敏隆君に昆虫学をやらせてやって下さい。」
父親は思わず「やらせます」と言ってしまった。

 そのあと先生は、ぼくに諄諄(じゅんじゅん)と語った。
「お許しがでたのだから、しっかり昆虫学をやれ。だけど、昆虫学をやるからといって、虫ばかり見ていたのじゃだめだぞ。まず、本を読まなければいけない。それには国語が要る。その虫は世界でどこにいるのか。それには地理が要る。いつごろから日本にいるのか。それには歴史が要る。本といったって日本語の本だけじゃだめだ。それには中学に人って英語の勉強をしなくては。わかったな?」

 ぼくは十二分によくわかった。ぼくには自分の軸というものができたのである。


              日高敏隆 (滋賀県立大学学長)(日経 2000/10/14



 
教育に必要なものは、米丸先生がもっていたような洞察力(正確な状況認識とそれに基く的確な対処と指示)と質の高い愛情(愛情があるだけでは不十分)であろう。

 諸君は、もはや親からは殆ど影響を受ないであろう。諸君の多くは、まもなく親になる。諸君が考えるべきことは、「親からどのような教育を受けたいか」についてではなく、「自分の子供にどのような教育をすべきか」についてであろう。

 自分の子供を、正確に理解している親は意外に少ない。客観的で注意深い観察と自分が子供であった時の心理分析が必要であろう。

(私が若いときに学んだ「心理学」は、面白くはあったが、全くと言っていいほど役には立たなかった。人間の心理は覚えたことで分かるほど単純ではない、ということであろう。)


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この絵は、画像ソフト(Photoshop Ver.4.0) を使って描いたCGです。