【1】がんにおける増殖因子の活性化機構と発現調節
生体では、さまざまな病態生理機構において、プロテアーゼとその活性を調節するインヒビターが重要な役割を果たしています。創傷・炎症時における炎症細胞の組織内浸潤や癌細胞の浸潤といった状況においてもプロテアーゼによる組織の破壊と再構築が起きています。重要なのは、炎症細胞の浸潤ではプロテアーゼの活性はプロテアーゼインヒビターによって正確にコントロールされていますが、癌細胞の浸潤では、そのコントロールが不確実ないし欠如していることです。この点が、「癌は治らない傷」といわれる所以でもあり、癌研究は正常組織と比較して行うのではなく傷害組織と比較して行うべきだと考えています。
宮崎大学での研究で、私たちは大腸癌や肺癌などの癌細胞が種々のプロテアーゼインヒビターを産生することを明らかにし、癌細胞の浸潤能や患者の予後と相関することなどを報告してきました(⇒伊藤浩史の研究業績の項を参照してください)。また、消化管上皮細胞の増殖・分化に大きな役割を果たしているHepatocyte Growth Factor (HGF)の活性化に、特異的活性化因子であるHGF
Activator (HGFA)による限定分解が必要で、そのHGFAの活性調節には膜結合型インヒビターであるHGF activator inhibitor
(HAI)が重要な働きをしていること、HGFAノックアウトマウスでは傷害粘膜上皮の再生修復が著明に遅延することなどを明らかにしました。また、この一連のHGF関連蛋白研究の過程で、HAI-2遺伝子の11kb下流にアミノ酸106個からなる新規核移行ペプチドHAI-2
Related Small Peptide (H2RSP)を発見し、in vitroの解析で核に移行するペプチドであることを示しました。興味深いことに、消化管の癌細胞や、再生中の上皮細胞ではH2RSPは核に移行せずに細胞質に留まっており、消化管上皮細胞の増殖・分化にH2RSPが大きな役割を果たしていることが示唆されました。
一方、マイクロRNA(以下miRNA)は非常に小さいnon-coding RNAで、相補的な標的mRNAの翻訳制御を行っており、種々の癌細胞において変異や発現変化し、癌の増殖・浸潤・転移といった形質の発現に寄与していると報告されています。福井大学へ異動後、私たちは科学研究費補助金等の研究助成を受けて、頭頚部扁平上皮癌や前立腺癌で特異的に発現が変化する複数のmiRNAを、マイクロアレイ解析などから同定し報告しました(Kimura
S, Itoh H, et al. Oncol Rep, 2010; Tsuchiyama K, Itoh H, et al. Prostate,
2013)。しかしながら癌におけるmiRNA発現の変化が、どのような刺激によりどのように行われているかまだほとんど分かっていません。HGFの刺激によっておこる様々な細胞形態・動態変化においても、下流の機能遺伝子の発現には、HGF刺激による直接的な下流機能遺伝子mRNAの転写調節とともに、miRNAによる翻訳調節が関与していると考えられますが、そのような研究は上皮細胞増殖因子
(EGF)で一つ報告があるのみです。
私たちは、頭頚部扁平上皮癌培養細胞株において、HGF刺激前後で発現が変化する複数のmiRNAをマイクロアレイ解析で同定し報告しました(Susuki D, Naganuma S, Itoh H, et. Al. Cancer Sci, 2011)。その中には癌の増殖や転移、浸潤に重要な機能を担っている遺伝子を制御していると考えられるmiRNAも含まれており、現在そのターゲット遺伝子の同定、機能解析を鋭意進めているところです。平成25年1月1日付けで異動した山口大学では、このようなHGFをはじめとする種々の増殖因子刺激によって発現が変化し、ターゲットとなりうる下流の機能遺伝子を制御するmiRNAを明らかにし、分子標的薬や、各種バイオマーカーとして実際に臨床応用可能かどうか検討してみようと考えています。
【2】がんの分子細胞遺伝学的研究
従来からの研究として、固形癌のゲノム異常(コピー数異常)をfluorescence in situ hybridization (FISH)やcomparative
genomic hybridization (CGH)といった技術によって解析しており、染色体CGHによって3,000例以上の固形癌を解析してきました。現在では、アレイCGHを繁用し、各種癌の生物学的特性に関連したゲノム異常(コピー数異常)を同定しています。CGH解析は癌の個別化治療に有用な情報をもたらすことが示されています(⇒山口大学2病理の研究業績の項を参照してください)。細胞解析のための新しい技術開発にも力を入れており、個々の細胞あるいは細胞集団における遺伝子発現を細胞レベルで高速、効率的に解析可能とする新しい技術の開発を行っています。今までに開発した技術のうち3種類の代表的技術を紹介します。
(1)細胞アレイ(Cell array)
細胞アレイは一度の操作で多数の検体について、DNA ploidy, 染色体数的異常、抗原発現等の細胞特性解析を可能とします。実際には、図に示すように径2 mmのスポット50個が通常のスライド硝子に並べられています。1スポットで約1,000個程度の細胞を解析することが可能で、この装置はイメージサイトメトリーに威力を発揮しています(最初の論文Am J Pathol 2000; 15; 723-8、特許申請済)。
(2)Multiplex-immunostain chip (MI chip)
免疫組織化学的検索をより効率的に実施するために、multiplex-immunostain chip (MI chip)と呼ぶ新しい器具を開発しました。このシリコンゴムで作製したアレイには径2mmの穴が50個あり、50種類の抗体パネルとして利用可能としました。一度の実験操作で同一組織切片、同一細胞集団に対して50種類の抗原発現検索を免疫組織化学によって可能とし、図に示すように、アレイ上に標本面を下にして、これも独自に作製したホルダーを利用して抗体が漏出しない状態で反応させる。これにより、免疫組織化学や分子細胞遺伝学に要する時間、経費、手間が大幅に削減できます。この器具は細胞培養にも利用でき、医学生物学分野での種々の応用が考えられます(最初の論文; J Histochem CYtochem 2004; 52: 205-10, 2008年に特許成立)。
(3)量子ドットビーズアレイ〔バーコードビーズ〕
量子ドット(quantum dots; QD)は蛍光標識物質として特異的特長を呈します。私たちの研究室では2種類の量子ドットを種々の割合で混じたビーズ(10 – 20 μm)を作製しました。蛍光波長のスペクトルを解析することにより各ビーズの識別が可能で、実際には24種類のビーズを作製しています。このことは、1度の実験操作で24種類の物質の測定ができることを意味しており、測定の機器としては一般的なフローサイトメーターで十分です。医学生物学や臨床検査では基本的は技術であるサイトメトリーに関して、私たちは豊富な経験があります。サイトメトリーにはフローサイトメトリー(FCM)とlaser scanning cytometry (LSC)のようなイメージサイトメトリー(ICM)とがあり、私たちは、これらの両者を利用して細胞の解析を行っており、上記の量子ドットをこの技術として応用を行っています。
【追記】バーチャルスライドシステム
バーチャルスライド(VS)システムは医師や学生の病理教育におけるデジタル画像技術です。実際の顕微鏡でする組織標本を観ると同様に標本を観察可能とします。この技術は教育のみではなく、遠隔病理診断にも利用できる、私たちの施設でも大学から離れた病院と遠隔病理カンファレンスに利用しています。教室ホームページからは誰でもVS画像を実感することができます。
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