日本の国際美術展(三)
福岡アジア美術トリエンナーレ
◆授業の目標
アジアの現代美術に親しむ。
福岡アジア美術トリエンナーレの歴史について理解する。
1. アジアの現代美術
1-1. 淺井裕介(日本)《泥絵・一本森(父の木)》 2009年
1-2. 黄永砅(ホワン・ヨンピン、中国)《2002年6月11日、ジョージ5世の悪夢》 2002年
1-3. 黄永砅《ニシキヘビの尾》 2000年
1-4. ダヴァー・ドルジェレム(モンゴル)《空間から聴こえる声2》 2009年、(部分1)、(部分2)
・美術家の言葉@:ダヴァー・ドルジェレム 『第4回福岡アジア美術トリエンナーレ2009』図録より
「これは、胎児の生命、つまり受胎の瞬間からこの世に誕生するまでについての作品である。胎児は子宮の小さな空間に包まれている。しかし、その意識はもっと広い空間にあり、母親の子宮で過ごす9ヶ月は一生涯に等しいのだと私は思う。そして誕生間際の赤ん坊は、子宮での生活から私たちの世界での生活へと飛びこむ準備のために、産道へとでていく。
角の層は、胎児の生命の段階を象徴し、胎児が成長するにしたがって聞いたり交信したりする様々な声を表わしている。角がだんだん厚くなるように、その声はだんだん大きくなる。胎児は、まるで神のように、自らの世界に自然な状態で存在し、人が聞くことができない声をも聞くことができる。
箱の中の赤ん坊は、この作品の重要なポイントである。箱は、赤ん坊が飛び込もうとしている私たちの世界である。私が外の世界を表わすのに箱を用いたのは、人間は空間によって縛られたり、制限されたりすることもあれば、それに依存することもあるからだ。つまり、箱はわれわれの世界への入口なのだ。赤ん坊がこの入口を通ると、神のような性質は失われてしまう。
私は、生まれる前の生活、つまり母の胎内での生活が、人が得ることのできる最も自由で安らかな状態であると思う。」1-5. ジャン・リーロイ・ニュー(フィリピン)《キメラ》 2009年
1-6. アンキ・プルバンドノ(インドネシア) 《ミスター・ウォーターとミセス・メロン》 2009年、(展示風景)
・美術家の言葉A:アンキ・プルバンドノ 『第4回福岡アジア美術トリエンナーレ2009』図録より
「私たちはおとぎ話に囲まれている。それらのおとぎ話は、自由な文脈で構成されているように見えるが、親切であるべきだとか、良い人生をおくるべきだといった考えを形成する普遍的な道徳観や価値観をもたらすものなのだ。私たちは時折、機知や知恵、貴重なインスピレーションを求めて、おとぎ話や神話を引き合いに出したり見つめたりする。
私の作品は、そのような状況から出発しているが、しかし幾分異なった方向に向かっている。それは、既存の物語の断片、つまり正義と不正、幸せで悲しい物語、悲劇的で喜劇的で皮肉な話などを借用して自身の物語を創作することで、物語を現実へと引き戻すことを意図している。 私の作品は、物語を再構築することを意図し、また日常の話から物語を作り上げていく意味を主張するものである。
知らない地方の話を引っぱってきて、身近な文脈の中に置きなおすことは、ダイナミックな人間の歴史を学ぶ方法となるかもしれない。私が果物を二つに切り、そこにある物をはめ込み、それによって物語を築きあげるとき、大きな空間がなくてもこの驚くべき命を理解することができるのだと思う。私たちは今、テレビ、インターネットベースのメディア、携帯電話、そして開発中の未来的なハイテク機器等、メディアのサイズがかつてない規模にまで縮小された世界に生きているが、それでもなお地域の豊かさを示す果物は、日々の生活の物語の完全な舞台と成りうるのである。」1-7. ディン・チ・レ(ベトナム)《南シナ海ピシュクン》 2009年
1-8. チュオン・タン(ベトナム)《平和の母》、2009年
1-9. リアン・セコン(カンボジア)《踊るマカラ in 福岡》
1-10. ナウィン・ラワンチャイクン(タイ)《復活の地》 2009年、(部分)
1-11. テンジン・ドルジ(ブータン)《封じられた魔女》 2009年、(展示風景)
1-12. テンジン・ドルジ《再訪》(部分1)、(部分2)
1-13. サジャナ・ジョン(ネパール)《つかまって》 2008年
1-14. サジャナ・ジョン《休憩》 2008年
・美術家の言葉B:サジャナ・ジョン 『第4回福岡アジア美術トリエンナーレ2009』図録より
「動物の皮といった天然の素材を使い、見慣れた物の外皮と素材を奇妙な生き物へと変容させることは、人間の動物に対する要求や態度への皮肉なのかもしれません。 私の作品は、覆う、隠す、重ねる、着る、そして剥ぐことを連想させます。動物の皮は木や鉄、プラスチックといった固い素材でできたごく普通の物体に、生の感覚を吹きこむ役目があり、有機的な物と人工的な物との間に関係を築くのみならず、その素材となった動物たちの悲しく、軽視された、弱い状況を描きだしているのです。
第4回福岡トリエンナーレの出品作品は、私が現在生活しているラホールでみられるイメージや物(国内で汎用されている輸送手段)に由来しています。その題材(山羊や馬)は、ラホールにおける経済や階級に関すること、つまり過剰な消費や虐待、複雑な文化性などを私に想起させます。私の作品は、動物たちの役割や状態、つまり労働させられ処分されてしまう現状と、それらがしいたげられることなく社会に受け入れられることへの考察を表わしています。」1-15. スボード・グプタ(インド)《スタート・ストップ》 2008年、(部分)
1-16. アトゥル・バッラ(インド)《ヤムナー川を歩く》 2009年
1-17. シャジア・シカンダー(パキスタン)《絵巻》 1989-91年、(部分)
2. 福岡アジア美術トリエンナーレの歴史
3. まとめ
・アジアの現代美術
―各国についてのイメージ:政治・経済・文化
―万国博覧会≒国際美術展
―国別参加制度→キュレーター企画制
―「アジアの玄関口」としての福岡市の文化政策
・福岡アジア美術トリエンナーレの歴史
―1979年 福岡市美術館開館 第1部「近代アジアの美術」
―1980年 第2部「アジア現代美術展」→シリーズ化
―1999年 福岡アジア美術館開館 第5回アジア美術展
→第1回福岡アジア美術トリエンナーレ1999―2009年 第4回展で10周年
◆過去の講義ノートへのリンク
二〇一〇年前期 <第七講> 日本の国際美術展(二)福岡アジア美術トリエンナーレ
二〇〇九年後期 <第三講> 福岡アジア美術トリエンナーレ
二〇〇七年前期 <第二講> 国際美術展の歴史(二)アジア
二〇〇六年前期 <第一講> 第三回福岡アジア美術トリエンナーレ二〇〇五紹介/<第二講> 福岡アジア美術トリエンナーレをめぐって
二〇〇五年後期 <第五講> 福岡アジア美術トリエンナーレ二〇〇五
二〇〇二年前期 <第/講> 第2回福岡アジア美術トリエンナーレ2002 [語る手 結ぶ手]