二大国際美術展(二)
ヴェネツィア・ビエンナーレ
◆授業の目標
ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史について理解する。
国際美術展の祝祭性について考える。
1.ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史
1895年、「ヴェネツィア市国際美術展」の名称で開始。イタリア国王ウンベルト一世と王妃マルゲリータの成婚25周年を記念する文化事業として。
1909年に第8回展を開催した翌1910年、続けて第9回展を開催。以後、1990年まで偶数年の開催が続く。1911年は、イタリア建国50周年にあたり、ローマで大規模な国際美術展が予定されていた。同展との競合を避けるため、1年前倒しで開催した(Martino2005, p.16.)。
1928年、第16回展の図録表紙に「ビエンナーレ」の文字が見える。しかし、内側の扉頁の記載は、「ヴェネツィア市国際美術展」のまま。1930年には、表紙も内扉も「ヴェネツィア・ビエンナーレ」の記載に統一される。「ビエンナーレ」の名称の正式採用は、この頃と思われる。
1932〜42年、ヴェネツィア・ビエンナーレにファシズム政権色が強く表れる。第18回展(左)の1932年の下に記された「X」は、ファシズム政権の10周年を意味する。第20回展(中央)の表紙には、斧の周りに木の束を結びつけた「ファスケス(古代ローマにおける権威と団結の象徴)」がデザインされている。第23回展(右)では、同じくライオンの左右にファスケスが見られる。
1934年、ムッソリーニとヒトラーがヴェネツィア・ビエンナーレ会場を公式訪問。ロモロ・ヴァッツォーニの回想によれば「ヒトラーは一画家として、鑑賞しているようだった。」という。
戦後は1948年に復活し、第24回展を開催。1968年の学生運動の世界的な広がりを背景に、ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展も運営体制の保守性が批判される。その後、改革が断行されるが軌道に乗らず、低迷。1972年の第36回展ののち、1974年は開催見送り。76年に第37回展が開催される。
1990年の第44回展より、下降を続けていた入場者数が回復。第45回展は、1992年の開催を見送って、翌1993年に開催。第46回展で100周年(1895-1995)を祝うため。
入場者数の推移―1974年の休止後、1976年の復活時に692,000人の入場者数を記録。その後80年代を通して、徐々に入場者数は減少。1990年以降、再び回復の兆しが見られる。
2.ヴェネツィア・ビエンナーレ第53回国際美術展
会期 2009年6月7日(日)〜11月22日(日)
テーマ 世界を構築する
Fare Mondi // Making Worlds // Bantin Duniyan // Weltenmachen // Construire des Mondes // Fazer Mundos …
図録見返しに46通りで表記参加国数 77カ国
総合監督 ダニエル・バーンバウム(フランクフルト・シュテーデル美術大学学長、ポルティクス ディレクター、第3回横浜トリエンナーレ・キュレーター)
日本館の展示 やなぎみわ「老少女劇団(Windswept Women)」
日本館コミッショナー:南嶌宏(女子美術大学教授・美術評論家)
2. やなぎみわ「老少女劇団」展示風景(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)
5. 第53回展会場地図
6. カステッロ公園会場地図
5. ヤン・ファーブル―足から頭へ展 会場入口(1)、(2)
6. ヤン・ファーブル―足から頭へ展 会場風景(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、(8)、(9)、(10)、(11)、(12)、(13)、(14)
7. アルセナーレのシャトル発着場からスパツィオ・テティスを望む
10. ウーライ&アブラモビッチ
11. アンゲロ・ムスコ(ナポリ生まれ、ニューヨーク在住)(1)、(2)、(3)
12. AES+F《トリマルキオの饗宴》(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、(8)、(9)、(10) *YouTube/ AES F Trimalchio - part 1, part2, Part3
13. ジャウメ・プレンサ《無事登って来い》(1)、(2)、(3)
14. 隙間作り展(中央アジア館)入口
15. アンゾル・サリジャノフ《ダナエ―レンブラント讃》、2007年
16. アンゾル・サリジャノフ《最後の晩餐―制作過程》(1)、(2)、(3)、2008年
17. オクサナ・シャタロヴァ《浴槽ミイラ化》(1)、(2)、2009年
18. イェレナ・ヴォロビエワ&ヴィクトル・ヴォロビエフ《眠る美術家》
19. イェレナ・ヴォロビエワ&ヴィクトル・ヴォロビエフ《昼と夜》(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、2007年
3.まとめ
・ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史
―国王夫妻の銀婚式記念事業から始まる
―1930〜40年代はファシズム色に染まる
―戦後復活したが、70年代の改革・中断を経て80年代に低迷
―1990年代より復活の兆しが見られ、1995年に第46回展で創設100周年を迎えた
・国際美術展の祝祭性
―世界の舞台へと活躍を広げるための「扉」や「門」
―国際美術「展」から国際芸術「祭」へ
―観光資源としての国際美術展
◆過去の講義ノートへのリンク
・特殊講義2009(前期) 事例研究(一)ヴェネツィア・ビエンナーレ
・特殊講義2008(前期) 国際美術展概説(一)ヴェネツィア・ビエンナーレ
・特殊講義2007(前期) 国際美術展の歴史(一)ヨーロッパ 事例研究(四)第五十二回ヴェネツィア・ビエンナーレ
・特殊講義2006(前期) 第五十一回ヴェネツィア・ビエンナーレ紹介(一)、(二)、(三) ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史
・特殊講義2005(前期) 第51回ヴェネツィア・ビエンナーレ報告1、2、3、4
・特殊講義2004(前期) ヴェネツィア・ビエンナーレ紹介
・芸術論概説2003(前期) ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史 I、II
・芸術論概説2003(後期) 第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ I、II、III